日本橋八景 その1 変わる町並み、変わらないもの
2008年 07月 09日
時とともに街はまるで生き物のように変化します。
そんな街の一瞬の顔をとどめておこうと企画したのが「日本橋八景」。
消え行く町並み、新しい町並み、そしてベストビューポイントなど、編集長の感覚で選んで行きたいと思います。
◆今回は、その第1弾。
日本橋3丁目南の歩道橋、日本橋筋概観、紀州街道、かめや旅館、通天閣遠望、パーツロードです。
◆撤去されようとしている日本橋3丁目南の歩道橋は、日本橋の数少ないランドマークでもあります。
撮影のため久しぶりに歩いてみたのですが、驚いたのは思っていた以上に利用者がいたということです。
ここがスクランブル交差点になれば、新しい日本橋の中心地として賑わう可能性もあります。そんなことを感じて帰ってきました。
◆その歩道橋から見える日本橋筋の概観です。歩道橋がなくなれば、この景色を見ることはできなくなります。
でも何年もこの景色を見ていますが、改めて見てみると、街が変ったことが一目瞭然です。
10年後には、想像できないぐらいにさらに変化しているのでしょうね。
◆通天閣遠望。
日本橋の隣町である新世界には、大阪を代表するランドマーク「通天閣」があります。
それが電気街から最もよく見えるのはパーツロードではないでしょうか。
パーツロードとは堺筋から一筋東へ入った筋でテクノベース共立、千石電商、マルツパーツ館、デジット、東京真空管、トーカイなどが点在しています。
西側のオタロードと並んで、日本橋の新しい顔になりつつあります。
また、最近のロボットや電子工作ブームの高まりに伴って、ユーザーも再び増えつつあるようです。
そんな町並みから通天閣を見ていると、ああっやっぱり大阪なんだ、なんて思ってしまうのです。
◆日本橋には、大阪・高麗橋と和歌山を結ぶ紀州街道が走っています。
江戸時代には盛んに利用されていたようで、紀州藩や岸和田藩の参勤交代に使っていたとも言われています。
またその頃、日本橋は「長町」と呼ばれており、旅籠が軒を連ねる宿場町だったそうです。
日本橋という名前に改称されたのは寛政年間だとも言われています。
宿場町の名残を留めているのが、日本橋西2丁目にある「かめや旅館」です。
こうした純和風な旅館を外人客の誘致に使ってみるのもいいかもしれませんね。