日本橋電気街に関連したニュースをお伝えする情報サイトです。 「日本橋( NIPPONBASHI )経済新聞」は 略して”バシ経”。


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電気街を作った男たち 2 二宮無線電機商会創業者、二宮荘吉氏(1)

◆どこへ行くのかわからないほど変身を続ける日本橋電気街。
 街は時代に応じてかわるものと言われるが、先人たちの熱い思いは忘れてはならず、大切に受け継がなければならないと思います。
 そうした意味でも、電気街を作ってきた人たちに敬意を払うとともに、彼らが何を考え、どう行動してきたかを学んでみたいと思います。

 そこで今回から「電気街を作った男たち」 Part2をお届けします。Part1は2004年6月に8回にわたって連載しました。久々ですが、その続編となるものです。


◆昭和5年、まだ古着屋と古本屋の街だった日本橋に出店した中川章輔商会(後の中川無線電機)は、ラジオ電気器具の卸と小売をしていました。
 昭和10年代になるとラジオの普及もあって、東京、岡山、広島、福岡へと支店を設けるなど、商売は拡大の一途をたどっていたといいます。

 当時、日本橋の本店で総支配人をしていたのが、後に独立して日本橋に二宮無線電機商会(現ニノミヤ)を開く二宮荘吉氏でした。

 荘吉氏はそれ以前、東洋紡の人事部に勤めていましたが、頻発する労働争議への対応に疲れ身体を壊してしまいました。実家がある岡山で静養生活を送ることになり、休職届けを出して大阪を離れますが、これが人生の転機となりました。

 1年、2年、岡山での月日はたちます。
 「このままのんびりしていては会社にも迷惑がかかる。ここらで区切りをつけて新たな人生のスタートを切らねば」と決心した壮吉氏は、会社を退職し、岡山市内にあった中川章輔商会の支店を訪ねました。

 そのころの中川章輔商会は創業者の中川章輔氏が社長を努め、台湾の台北、台南、中国の北京、天津、上海、広東、香港などにも営業所を持ち、東南アジアにまで営業網を広げるといった手広い商売をしていました。主に軍需品などを輸出していたといいます。

 荘吉氏は願い通りに岡山支店に入社します。
 そこで頭角を現すまでには、さほど時間はかからないかったようで、しばらくすると日本橋の本店勤務を言い渡されます。
 思わぬ栄転で、再び大阪の地を踏むことになりました。
 そこでは国内営業をとりしきる総支配人というナンバー2の地位に上り詰めます。

 しかし隆盛を極めた中川章輔商会も、敗戦によって本店は跡形もなくなるなど、すべてを失ってしまいました。失意の中で昭和20年になくなった章輔氏の跡を継いで、三男の彰氏が中川章輔商会の看板を再び出します。

 ところが荘吉氏は独立を申し出ます。
 日本橋4丁目でラジオ部品などを卸販売する間口二間半の小さな店を始めたのでした。
 終戦間もない昭和20年8月のことです。 (続く)
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by sozakiweb | 2007-02-18 23:02 | 電気街を作った男たち